大津市「いじめ自殺」事件のこと ~区議会での質疑から~

19日、大津市の「いじめ自殺」事件の判決がありました。
中2の男子が苛烈ないじめにあい自殺に追い込まれたこの事件は、社会を激しく揺さぶり、いじめ防止対策推進法の制定をはじめとして「いじめ」対策の大きな転換につながったはずでしたが、しかし、その後も「いじめ」を巡る辛く、いらだたしい事件は後を絶ちません。あらためて、あの時のことを思い起こします。

事件が起きたのは、2011年10月。その後、大津市は当初の対応を改めて第三者委員会を設置、2013年1月に報告書が取りまとめられました。その1ヶ月ほど後、3月1日の予算審議の中で、私はこの問題を取り上げました。その時の議事録を再録します。私の15年の議員活動の中でも、最も力を込めて行った質疑の一つです。
この質疑の前段で、学校における人的配置の貧しさを様々な角度で取り上げています。内的に関連した問題意識からのものでした。区議会のホームページで会議録を確認できますので、もしよろしければ、その当たりからご覧ください。

質疑の最後に、私は教育長の所見を求めました。立って欲しかったけれども、教育長は立ちませんでした。これだけ大きな問題をみずから引き取ろうとしなかった教育長に、深く失望した経験でもありました。この質疑で跡付けた練馬区の「いじめ」対策への私の違和感と距離感は、そのまま解消されないままに続いています。


池尻 いじめとどう向き合うか、この問題が国を挙げての課題として意識されることになった直接のきっかけは、大津市のいじめ自殺事件です。
 教育長は、大津市の第三者調査委員会がまとめた報告書をお読みになったでしょうか。
 また、教育委員会としてこの事件をどう受けとめ、また何が一番の課題として意識されたかをお聞かせいただけますか。

教育指導課長 大変膨大な資料でございまして、私どもも手に入れて、読ませていただきました。
 学校現場でいじめというのは、この数年で始まったことではなくて、以前から、大きな事件が起きるたびに、学校でどうする、教育委員会でどうするということで対応を続けてきたところでございます。
 ただ、今回の事件を見ますと、改めて、子どもは、本当に心配をかけたくない人には言わない、例えば、学校の担任の先生、あるいは親にも言わない。本当のことは言えない。そういった状況が記録の中からも見えてまいります。
 そういったことを踏まえまして、本区においても、まず教員にそういう目を持って指導に当たることを徹底してきているところでございます。

池尻 私も事務局にご尽力いただいて、報告書を取り寄せて、見ました。
 一人の少年がみずから死を選ぶまでに追いつめられていく過程というのは、大変すさまじい、ショッキングな中身がたくさんあります。
 と同時に、その少年の死を真剣に受けとめようとする調査委員会の決意や視野の広さについて、私は新鮮な驚きを感じました。
 報告書は二つの姿勢を特に重視しております。
 一つは、徹底して事実から出発すること。特に、加害したとされる生徒の視点をしっかりと受けとめることを当初から柱の一つに据えて、丁寧な事実の掘り起こしを行っております。これは大変な努力です。
 二つ目は、徹底して教育的であろうとしていると、私には見えます。
 つまり、いじめを犯罪として、あるいは懲罰の課題としてだけでなく、加害少年も含めた、関係する子どもたちの再生と気づきのプロセスとして捉え返そうとする姿勢が、報告書の随所に私には読み取れると感じられてなりません。
 大津市のケースでは、いじめの事実を直視し、あるいは制止することができなかった教員や学校長の対応について、しばしば指摘されてきましたが、それだけではない。
 実は、読んでおりますと、いじめが深刻化するのに先立って、クラスが荒れて、学級集団が既に崩壊していた。被害者が加害者ととても親しいグループに属しており、最後まで加害者を突き放すことができなかった。
 こうした事実を知りますと、いじめは直接の当事者の加害・被害の関係だけでは、防いだり、あるいは理解することもなかなか難しいということを痛感いたします。
 教育委員会は、いじめ問題対策方針をまとめられました。
 この中で、いじめる側に立った子どもに対してどう向き合うか。あるいは、いじめを防ぐために、いじめる側に回らないようにするために、どんな指導が必要とお考えか、お聞かせください。

教育指導課長 当然、まずは被害の側に寄り添って対応することが前提にあるわけですが、当然、加害の側の指導も大事なことであります。
 もちろんケース・バイ・ケースでありますが、加害の児童・生徒に対して、その本人、あるいは保護者への指導をしていくということが基本にはあると思います。
 ただ、どうしても暴力行為がある場合には、また家庭との協力が得られない場合には、警察との連携も当然あろうかと思います。
 しかし、そういった中でも忘れてはならないのは、今おっしゃいましたように、この加害の児童・生徒が次に向かって歩み出せるように、そういったことが大事だと思います。
 もう一つは、子どもたちの加害と被害の関係だけではなく、学級あるいは学年の集団をどうつくるかという指導がとても大事なことだと思います。子どもたちの集団づくりをいじめの防止の根底に置いて、これからは取り組んでいかなければいけないと考えているところでございます。

池尻 丁寧なご答弁をありがとうございます。
 実は、対策方針を読みまして、率直に申し上げて、この方針を見る限りは、懲罰的な対応と道徳的な意識づけという側面の対応にどうしても傾いているような印象を持ちます。
 例えば、「いじめる側の幼児・児童・生徒への実効性のある指導」の第1に書いてあるのは、毅然とした指導の徹底。内容としては、「全教職員が毅然とした態度で一丸となって臨み、状況が改善しない場合には別室指導等にて個別に働きかけを行う。また暴行や恐喝の事例に関しては警察と連携して対応します。」ということです。
 これは今、教育指導課長がおっしゃったことの一つです。
 私も、こういう対応が必要でないと申し上げるつもりはありませんが、教育者として、あるいは学校として、加害をする側に回った子どもに対してどう向き合うかという点では、もっと幅広い視点が必要だろうと。
 実は、これも報告書の中にあるのですが、象徴的な内容なので、少し長くなりますが、ご紹介します。
 この大津の当該校は、道徳教育実践研究事業の推進指定校になっていたそうです。いじめのない学校づくりを宣言していた。このことに報告書は触れております。
 「この道徳実践が全く無意味であったとは思えないが、本件のようないじめの事案を防がなかったという事実を教員たちは真摯に受け入れなければならない。いじめの解決は決して容易なものではない。社会は、ますます競争原理と効率を求める方向に進んでおり、大人たちの多くはこの原理に浸った結果、職場でのパワハラ・セクハラが社会問題となり、あるいは従業員に対するメンタルケアが緊急の課題となっている。
 子どもたちも、こうした社会の価値原理から無縁であることはできず、また学校間格差、受験競争の中で、子どもたちもストレスを受けている。現代の子どものいじめは、社会のあり方と根深いところでつながっているがゆえに、いじめ発生の土壌が存在するとともに、いじめ解決の困難さが理解される。
 この点について、教員に自覚してほしい。道徳教育や命の教育の限界についても認識を持ち、むしろ学校の現場で教員が一丸となった、さまざまな創造的な実践こそが必要なのではないかと考える。」
 こうやって、報告書がそこで書いているのは、まさに教育指導課長がおっしゃった、学級集団づくりです。学級集団の意味についても書いております。ぜひお聞きいただきたい。
 「集団づくりとは、一人ひとり違った個性や生活を持った子どもたちを丁寧に「つないでいく」ことである。また集団づくりの目標は、子どもたちに集団の中での他者とのかかわりを通じて、自分という存在に自信を持ち、自己肯定感を育むことである。
 そして、人間への信頼感を育て、「友達が好き」「友達とかかわることが楽しい」と言えるような、「人とかかわる力」「人とつながる力」を身につけさせ、対等な関係を結ぶ力を育てることが重要である。
 集団が形成されていく過程においては、けんかあり、トラブルあり、泣きも涙も笑いもある。その一つひとつを教員が丁寧に拾い上げ、学級の集団に返しながら子どもたちにしっかりと考えさせていく、この営みこそが教育であろう。」
 直接のいじめの対応をどうするかという議論と、いじめを本当になくしていく、いじめのない学級をつくっていくという課題は、両方非常にしっかりと考えていかなければいけません。
 今、私が紹介したこの報告書のような考え方は、先ほど少し触れられましたが、改めて、どのように受けとめられるかお聞かせいただければと思います。

教育指導課長 こういった大きな事件の記録等々を読んで、一番大事にしなければいけない、あるいは考えなければいけないのは、子どもの教育は理念で終わってはいけないということだと思います。
 理念はもちろん大事ですが、では、実際に実生活の中で学んだことをどう生かしていくのか。そういう意味では、先ほど、ソーシャルスキルトレーニングというお話もしました。
 最近の子どもたちの状況を見ますと、核家族化の中でさまざまな人と触れ合う機会がどうしても少ない。そういう人とのかかわり方を家庭教育に任せるだけではなく、学校教育が引っ張っていかなければいけない部分があります。
 こういったことも含めて、学校教育の中で、理念はもちろん大事にしつつ、実学的というのでしょうか、実践的な部分についても学校教育で力を入れていかなければいけないと考えております。

池尻 今の報告書の問題意識は、実は具体的な提言なり投げかけの素地になっております。
 報告書は提言としてもまとまっているのですが、中身を読みますと、さまざまな具体的な提起、あるいは課題の表明があります。
 例えば、こういうことが書いてあります。今、まさに教育指導課長がおっしゃったように、理念としてだけでなく、実際に実践として、実学として人とのかかわり合いを学んでいくということは非常に大事なことですが、そのために欠かすことのできない条件はいろいろあるわけです。
 この報告書が真っ先に言っているのはこういうことです。
 「教員の多忙化は克服すべき緊急の課題である。彼らの負担を軽減して、子どもたちと向き合えるようにするための改革を最優先に進めるべきである。」
 たびたび言われたことでありますが、私は、これはある意味で基本的な真理だろうと思います。学校の先生が非常に多忙である、いろいろな意味で多忙である。その中で、こういったいじめに対する対応のおくれ、あるいはいじめを防ぐことができないという事態が生まれていることは、間接的・直接的にいろんな形で指摘されていることで、こういう意味で、私は教員の配置、あるいは教員も含めた学校の人的配置を、改めて腰を据えて考えるべきだと思いますが、いかがでしょうか。

教育指導課長 基本には、教員が子どもたちにきちんと向き合うことができるような環境をつくるということは、とても大事なことだと思います。
 学校の中でいえば、学校組織というものが20年前からあまり変わっていない部分があります。そういう組織のつくり方、あるいは会議の持ち方、それから、これは教育委員会の問題でもありますが、教員に必要以上に調査が行っていないか、こういう部分の見直しも大事だと思います。
 そういったことを含めて、教育委員会としてできることとして、先ほど来話題になっています人的支援ということで、練馬区では学力向上支援、生活支援員、あるいは心のふれあい相談員について、各学校に人を配置して、教員のフォローをしているということでございます。
 今後もそういった人的支援のバランスをとりながら、学校教育のフォローをしていきたいと考えております。

池尻 今日、私が最初からいくつか取り上げたテーマは、すべてここにかかわっていると私は思っているのですが、確かに、多様な人的な支援ということを教育委員会なりに工夫なさっていることは、よく承知しております。
 ただ他方で、先ほどの学校生活支援員の問題にしても、日本語講師の問題にしても、本当に現場からの声、現場からの要請と、財政的フレームとのぶつかりの中で、いつもある意味で右往左往なさっているという実感が、どうしてもしてしまいます。
 本当に必要なところに必要な人をつけるという腰を据えた構えがなかなかできていないという印象は避けられません。
 しかも、肝心な正規の職員が本当にいなくなっている事態は、とても深刻だと思います。非常勤の職員や、あるいはボランティアの方も含めて、いろんな人がかかわればかかわるほど、核になる正規の職員はどうしても必要だと思うのですが、その正規の職員がいなくなってしまう。
 これは、私は学校経営、学校管理の基本のところで、教育委員会は少し立ち位置を間違えているのではないか思えてなりません。学校における人の配置をどうすべきかということについては、ぜひ改めて考えていただきたい。
 そのほか、報告書には、例えばこういうことが書いてあります。スクールカウンセラー全校配置というご答弁が先ほどありましたが、スクールカウンセラーについても、「学校からの独立性をしっかり担保する必要がある。これが今回の教訓だ」ということが書いてあります。それから、「学校外に子どもみずからが救済を求めることができる第三者機関が是が非でも必要である」ということも書いてある。
 私は、子どもが亡くなるという本当に痛ましい事件から、これだけ真剣に格闘をして教訓を得ようとして努力をなさっているわけですから、ぜひ練馬区の教育委員会も、こういう努力を共有して、これまでの区のあり方、学校のあり方を考えていただきたい。
 もちろん、財源がない中で何もかもはできません。それはよく承知しております。
 ただ、私は、もしかしたら新しい施設や立派な設備を求めることをしばらく我慢してでも、何よりも人をしっかりつけて、それよりも何よりも、これからの学校をどうつくるかというデザインを教育委員会にしっかり示していただきたい。
 この点で、ぜひ今後の練馬区の学校のあり方を教育長からお聞きして、終わりたいと思います。

教育総務課長 これまでも、人的な部分、それから設備的な部分につきまして、さまざまにいただいたところでございます。
 私どもといたしましても、教育現場での課題は十分認識しているところでございます。限られた財源の中で、あるべき教育の姿を今後も模索していきたいと考えております。

|2019-02-20T00:26:59+00:002019年2月20日|コメントはありません

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