「誰に言えば、声は届くのですか?」

 こんなコメントが届きました。

 脱原発に向けて、あんなにたくさんの署名活動やデモが各地で起こっているのに、何もないかのように再稼動になりました。国民の声や行動はなにも汲んでもらえないのですか?
 誰に言えば声は届くのですか?

 私の周りでも、本当に必死の思いで首相官邸前に駆けつけ、あるいは都議会に足を運んでいる方がたくさんいます。たとえ首相が「再稼働」を決めたと言い張っても、たとえ知事が都民投票を求める都民にひどい言葉を投げつけても、動かないではいられない思いはほんとうによくわかります。やれることを、さいごまでやり切るしかありません。

 それでも今、私たちは、忍び寄る強い失望感と閉塞感を自覚せずにはおられません。「誰に言えば声は届くのですか?」と。
 どれだけ響く答えになるのかわかりませんが、私は、政治の回路をつなぎなおしたいと思っています。私たちを被う閉塞感の最大かつ直接の責任は、政治にあります。原発だけではありません。消費税にしてもそうです。豹変し、変節し、国民の声に対して耳をふさいだ政治家の責任を問い、けじめを迫るための政治の回路が必要です。
 私は、政権交代のために、民主党の候補者を応援しました。民主党が「玉石混交」であり、その中からしっかりと前に進む力と政治が育つことを信ずると、そう語ってきました。しかし、政権は後に何も残らないほどに精神的政治的に崩壊し、民主党の中から「玉(ぎょく)」はなかなか結晶してきません。国民の前にしっかりとした選択肢を示すために、議員の一人として何ができるのか。しっかりと考えなければならないと思っています。
 来年は都議選と参議院選があります。衆議院選も、今年か来年には実施されます。ここで政治が豊かな選択肢を示すことができなければ、この国の民主主義は本当に危機に瀕するとさえ感じています。

|2012-06-18T10:54:00+09:002012年6月18日|コメントはありません

コメントする