迫る「医療崩壊」 ~「新型コロナ」”リスク対話”(6)~

感染対策の大きな目的は二つ。一つは、個々人が感染しないようにすることです。そのために取りうる対策(ツール)は、ある意味で出尽くしています。問題は、どの場面、どの状況で、どんな対策が必要で適切であるかについて、きちんと判断し選択する材料があまりに乏しいことです。象徴的なのは、軽症者も含めた感染者の総体が見えなくなっていること。そして、感染者の分布や属性についての情報があまりに限られていることです。

そもそも、政府も自治体も、個々人の感染予防行動に直接、資するような疫学的な情報を収集し提供することに力を入れてきたとはとても思えません。PCR検査の対象は徹底して絞り込まれていましたし、いくらかでも広い範囲をカバーする疫学的な調査に取り組んでいる節もありません。
感染者の情報を広く知らせることに対しても、国も自治体もとても消極的であり続けています。感染者の数が〇〇人になった、昨日に比べて〇〇人増えた、あるいは感染者の年代や性別くらいまでは明らかにされていますが、例えば地域ごと・職域ごとの発生状況はわからないし、年代別の罹患率とか感染動向のようなまとまったサーベイランスもありません(あっても公開されていません)。
ここにきて市区単位での感染者数が出るようになりましたが、例えば練馬であれば、人口74万を超える大都市です。日常生活圏はいくつもに分かれ、中学校区だけで30を超えています。そんな練馬区をひとまとめにして〇〇人と言われても、それは、一人一人の感染予防の行動選択にとってほとんど何の情報も付け加えないでしょう。昨日時点で練馬区の感染者は35人。増えているのはとても心配ですが、しかし、この35人がどんな経路をたどって感染したのか、濃厚接触者として把握されていた人なのかどうかもわかりません。35人が例えば区内の〇〇町に集中しているのか、あるいはまったくバラバラに散らばっているのか。35人の中に相互に関連した感染が確認できるのか、できないのか。こうしたことがわかれば私たちの行動ははるかに効率的で効果的なものになるでしょうし、そうした情報自体は行政は把握しているはずなのですが、しかし公開する気はありません。これでは、漠然とした危機感や不安は残っても、具体的な行動につながる説得力のある材料にはとてもなりません。

一人一人が感染を避けるために具体的な指針となる情報として、今、公けに提供されているのはたぶんこの二つです。

  • クラスター情報 まとまった単位で感染が集中して発生したケースについて、その場所や特性
  • 院内・施設内感染の情報。どの施設でどの悔いの感染者が出ているかなど

この二つは、特に関係者にとっては貴重この上ない情報ですが、しかし、大半の市民にとっては自分の日々の暮らしや感染予防の努力との接点を見つけることがとても難しいものです。

個々人が、それぞれの感染を防ぐための情報がこんなにも乏しいのはなぜでしょうか。それは、そもそも国や自治体の「感染対策」の主眼が、一人一人の感染を防止することには向けられてないからです。その前提には、新型コロナウィルスを「封じ込める」、あいは「排除する」ことは少なくとも当面は困難であり、目標とすることはできない(適当ではない)という認識があります。もちろん、そこには「新型コロナ」感染症の疾病としてのリスクに対する評価、つまり一部に重症化するケースがあるものの、多くは軽症で積極的な治療がなくても軽快していくという見立てがあります。大半が重症化し死に至るような感染症であれば、あくまで徹底して感染の排除、封じ込めが目標であり続けるはずです。
また、人と動物の双方に寄生し根絶することが極めて難しいという、このウィルスの”生態”の問題もあります。「いずれは風邪やインフルエンザと同じようなものとして、人類は『新型コロナ』と共存していくことになるだろう」。「撲滅や封じ込めというよりも、『共存』を考えていかざるを得ない」「今、感染が抑制されたとしても、再び再燃する可能性は消えない」「最終的には社会が集団免疫を獲得するまで、感染は繰り返されるだろう」…こうしたことは、専門家からは様々な形で語られてきたことです。

すべての人を感染から守ることはできない。感染自体を一掃することは困難である。ある程度まで感染が広かることは避けがたい。しかし、では、どうするのか。そこで出てきたのが二つ目の目的、感染しても命が助かり、回復できる(元気になる)状況を維持するということです。

感染対策の目的2 感染しても命が助かり、健康に戻れること

例えば、通常の季節性インフルエンザの場合、私たちは感染の広がりを知ってもパニックにはならないし、得も言われぬ不安を抱いたりすることはほとんどないでしょう。インフルエンザは国内の感染者は年に1,000万人に達し、死者も多い時には1,000人を超えます(※)から、数字だけ見れば『新型コロナ』感染の現状とはけた違いの広がりです。インフルエンザはこれはこれで深刻な疾患なのですが、しかし、流行時でも学校は開いています。学級内に感染者が一定割合以上出たら学級閉鎖、閉鎖した学級がある程度になってやっと学校閉鎖です。高齢者の施設でインフルエンザの集団発生があったとしても、通常は患者の隔離収容は行われません。

※「例年のインフルエンザの感染者数は、国内で推定約1000万人いると言われています。国内の2000年以降の死因別死亡者数では、年間でインフルエンザによる死亡数は214(2001年)~1818(2005年)人です。」(厚生労働省)

致死率など評価がなお確定しないところもあるようですが、大まかな傾向だけ見れば、インフルエンザと新型コロナ感染症との間には、感染症としての深刻さに重大な差があるとはなかなか思えません、それでも、「新型コロナ」の場合にとても強い危機感や不安が伴うのはなぜでしょうか。このウィルスが人類にとっては新しいウィルスであり、その性状に未知の部分が多いからということもあるでしょう。変異による強毒化も気がかりです。しかし、やはり大きいのは、ワクチンや抗ウィルス薬が開発されていない中で、感染した場合には対症療法を使いつつ生来の免疫能力に頼るしかないということです。基礎疾患があるなどして体力や免疫能力が低下している高齢者の致死率は、人工呼吸・人工心肺などの高度な医療を受けてもなお、かなり高い数字になっています。

感染しても命が助かり、健康に戻れるという安心感をどうやって支え、守れるか。それは、突き詰めていけば、重症化した患者を受け入れる医療体制の確保にかかっていると言えます。そして、政府や自治体の感染対策の最優先の目的も、今はここに置かれています。行政担当者や専門家が真っ先に注目するのは、感染者の数それ自体ではありません。感染者の増え方、それが受け皿となるべき医療のキャパシティを超えて医療崩壊につながらないかどうかということです。
「オーバーシュート」という言葉も、その文脈で使われています。対応する日本語は「感染の爆発的増加」とされていますが、その意味するところは医療として管理・対応できる範囲を超えるほどに患者が急増してしまうということです。日に日に倍々で患者が増える。指数関数的、と言うそうですが、もしそんな形で感染者が急増すれば、求められるベッド数も、医療スタッフの数も、医療機器も、限りなく増え続けることになります。それは「医療崩壊」の道です。もしそうなれば、今、欧米がそうであるように、新型コロナ感染が命を脅かすリスクは劇的に増大するでしょう。

5日の『サンデーステーション』に登場した藤田医科大学の西田教授は、医療崩壊への強い危機感とともに「イタリアでは、ICU(集中治療室)に入れない人がたくさん死んでいる。ICUの中で死んでいるのではない」と語っていました。死者を増やしてはならない。感染者の拡大を、なんとか既存の医療資源で対応できる範囲にとどめたい。それが、今の感染症対策を突き動かす関係者共通の思いだということです。

 

このグラフは、マスコミでも繰り返し使われていましたから、ご記憶かと思います。政府の感染症対策本部2月23日の資料から取ったものですが、この基本的な考え方は今も変わっていません。

感染がもっぱら中国からの移入として受け止められ、「水際対策」が効果的で現実的であると考えられていた最初の一時期を除いて、政府・自治体の「感染対策」は、社会全体として感染を一定の範囲にとどめること、具体的には重症者の発生を医療基盤の対応能力の範囲にとどめることに向けられています。感染者をゼロにするとか、すべての人を感染から守るといったことがその目標なのではありません。軽症者は事実上、積極的な医療の必要性はないものとみなされています(感染源とならないための隔離は必要でしょうが)。感染対策をとらえる目線は、 「私」や「あなた」が感染するかどうかではなく、医療、とりわけ重症者に対応する専門的な医療体制がこの感染症の広がりに持ちこたえられるかどうかというところに向けられています。

「我々は、現在、感染の完全な防御が極めて難しいウイルスと闘っています。このウイルスの特徴上、一人一人の感染を完全に防止することは不可能です。
 ただし、感染の拡大のスピードを抑制することは可能だと考えられます。そのためには、これから1-2週間が急速な拡大に進むか、収束できるかの瀬戸際となります。仮に感染の拡大が急速に進むと、患者数の爆発的な増加、医療従事者への感染リスクの増大、医療提供体制の破綻が起こりかねず、社会・経済活動の混乱なども深刻化する恐れがあります。
 これからとるべき対策の最大の目標は、感染の拡大のスピードを抑制し、可能な限り重症者の発生と死亡数を減らすことです。」
2020年2月24日 新型コロナウイルス感染症対策専門家会議『提言』

個々人が実際に患者になるリスクを避けるための対策と、医療が破たんして感染死者が多数出ることを避けるための対策とは、対象者も、方法も、スケジュール感も、そして担うべき主体も大きく異なるものです。この違いはとても大切です。そして私は、行政や専門家が「新型コロナ」感染症に対する対策の当面の目的を重症者に対応する医療の確保、医療崩壊の回避に置くということ自体は、間違っていないと思います。問題は

  • 取られている対策は本当にこの目的にかない、かつ十分なものかどうか
  • この二つの違った目的が混同され、個々人の意識や行動がゆがんだものになっていないか

という点です。

※“リスク対話”のテーブルです。ご意見をお待ちしています。
※できるだけ根拠をたどりながら記事を書いていますが、事実と違うという点もあるかもしれません。ご指摘いただければ幸いです。
|2020-04-05T17:41:38+09:002020年4月5日|コメントはありません

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