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池尻成二事務所 〒178-0063 練馬区東大泉5-6-9 03-5933-0108 ikesan.office@gmail.com

1万人に10人か、1,000人か? ~「新型コロナ」”リスク対話”(3)~

感染の広がりが見えないことからくる不安。根拠を持った適切な対策を見極められない難しさ。根拠を説明できない、納得できないために生ずるストレス…今、私たちが直面している大きな課題はここにあるのではないか

軽症者を中心に、PCR検査を受けないままになっている感染者が少なからずいるのではないか。

この懸念、疑念は広く共有されているように思えます。そしてこのことが、これからの感染拡大に対する対策を考えるために、特にしっかりしたリスクコミュニケーションのもとに市民の協力を求めていくために、大きな障壁になっているのではないか。

私は、そう感じています。

前回の記事の振り返りも兼ねて、一つ、素材を。これは、東京都の感染症対策本部会議に提出されている資料です(第14回分)。

検査を受けて陽性と判定され、指定された医療機関に入院している人のうち、重症となっているのは1割に満ちません。大半は「軽症・中等症」です。軽症と中等症がそれぞれどの程度の割合なのか、またどこで線を引いているのか、まだ的確な資料を見つけられないでいますが、これだけ軽症・中等症の割合が高いということは、検査を受けないままになっている感染者がいることを推定するには十分です。繰り返しますが、ここに数えられている「軽症・中等症」の人たちの多くは、もともとの検査要件には当てはまらないけれども濃厚接触者であったり、制限された地域への渡航歴があるなどの理由で検査を受けることになった人たちです。そうした疫学的に見たリスクのない人たちは、同じような症状であっても病院にもいかない、センターにも相談しない、しても検査は不要と言われる可能性が高いということです。

“対話”を進めるために必要な材料

      1. 症状の軽重は、ウィルスを拡散するリスクの大小とどう関連しているのか
      2. 「無症状」と言われてきた人たちは、本当に無症状なのか。これまで理解されてきた症状自体が狭いということはないのか

では、もしPCR検査を受けないままになっている感染者が少なからずいると推定できるとして、実際にはその数はどのくらいになるのか。それらの潜在的感染者は、どういう場所で、どういう形で、そしてどの程度の強さ、影響力を持って感染源となりうるのか。この問いには、残念ながら、今は答えがない。少なくとも、見つけられませんでした。なので私は、前回の投稿で検査の在り方自体を見直すことを提案しました。もっと広く、例えば検査の要件をさらに緩和し多様化して、感染者を拾い出すことができるようにする。あるいは、疫学調査の目的をもって一定の社会集団に検査を当ててみることで、感染の広がりを分析・推計する。そんな工夫が必要になっていると考えたからです。

しかし、とにかく今は、潜在的な感染の広がりを可視化する材料がありません。そして、これは大変困ったことです。

対話その3 感染の広がりが見えない中で、どうすればよいのか

たとえば、感染者は1万人の市民の中にどのくらいいるのか。それが、10人なのか、100人なのか、1,000人なのかによって、感染のリスクの評価も、感染対策の取りようも全く異なってきます。

もし1万人に10人なら、通常の社会集団の大半には感染者は含まれないと考えてよいでしょう。無数に走っている鉄道車両のどれかで、感染者と同乗する。しかも、同じ車両に乗るリスクは、限りなくゼロに近いでしょう。こんな段階で、例えばすべての車両のつり革からシートまで毎日のように消毒するとか、あらゆる場面でマスクの着用や隣人との離隔を求めるなどという機械的な対応は、およそ”労多くして”ということになりかねません。
しかし、たとえば1万人に1,000人だったら? そうしたら、いくらかでも人が集まれば、ほぼ必ずその中には何人かの感染者がいるということになります。こうなると、それぞれの人が自分を守るための感染対策は、あらゆる局面で必要になってきます。もはやこうなると、そもそもそういう人が集まる環境の中に身を置かない。一切、人との接触を避ける。Stay Home に徹する。それ以外に感染から身を守るすべはないように見えます。皆が防護服を着て日常生活を送るというのなら、また別ですが…。

感染対策のこの大きな振れ幅のどこに、今、私たちは身を置くのか。そこが見定まらない。見定まらないことからくる大きな不安と、激しい対応の揺れ、混乱の中で、だれもが疲れてしまう。私たちの心を包んているメンタリティは、そのあたりにあるのではないかと思えます。そして、見定まらない大きな理由の一つは、何度も繰り返しますが、感染の広がりが可視化できていないということです。

池尻の考え

海外からの渡航者に焦点を当てていた当初の検査体制、検査の考え方が抜本的に見直されないままになる中で、市民社会の中で、把握されていない潜在的な感染者が広がっている可能性が高い。こうした点を早急に見直し、感染者の広がりと感染リスクの現状を把握するために、感染症専門家とりわけ疫学・公衆衛生・統計学などの専門家の力を結集すべきではないか

私が考えるに、感染リスクをいくらかでも的確に評価するためには、いくつかの具体的で客観的な事実が整理されることが必要です。つまり

  1. 感染者の病状、症状はどのようなものか。これは、PCR検査につなげるためのGateway (入り口、関門)の設計に関わります。最近、強調されている「嗅覚」「味覚」異常は、少なくともこれまでの鑑別診断や検査対象のスクリーニングでは意識されていなかったはずです。こういう疾病理解の深まりを、検査の適用や感染者の把握に生かすのは大切なことです。
  2. 感染者が新たに他者を感染させるリスクはどのようなものか。どの程度の期間、どういう形で、またどのくらいの強さで感染を広げるか。一般的には、重症化している場合の方がウィルスは大量に体内に存在し、当然、感染力も高いと思われますが、では軽症者は「無症状」の人はどうなのか。
  3. そして最後に――ただし最も基本的なこととして、そもそも感染者は今、どのくらい存在しているのか。

この3つです。これらのことが整理されていくことが、的確な感染予防策を構想し、一般の市民も含めたリスク・コミュニケーションを成り立たせるための前提ではないでしょうか。

※“リスク対話”のテーブルです。ご意見をお待ちしています。
※できるだけ根拠をたどりながら記事を書いていますが、事実と違うという点もあるかもしれません。ご指摘いただければ幸いです。

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