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中村哲さん

2013年に刊行された哲さんの著書、『天、共に在り』。現地報告を柱としたそれまでの数々の著作と違って、思想家としての中村哲のある種の総括のような趣の本。名著だと思います。そして私は、この本は、哲さんが一線のアフガンの現場から身を引くにあたっての区切りとして出されたのではないか。そんなことまで考えました。ちょうどペシャワール会と哲さんの現地活動が30周年を迎える節目でもありました。本人に正面から聞いたことはありませんが、当時は練馬での講演会の際にも、哲さんの表情や話しぶりにある種の達観を感じたものです。
しかし、身を引くことは——たとえそのつもりがあっても、できなかったんですね。結局、もう一仕事しなければと、哲さんはアフガンに向かいます。灌漑事業のアフガン全土への展開と、現地の人々の自立と事業の継承を目標とした次の闘いが始まりました。そして、その闘いが様々な困難に直面するなか、「あと20年続けなければ」という言葉が飛び出します。11月22日のことです。

11月22日、私は福岡に飛んでいました。介護の施設でお世話になっている母親の顔を見に行くための久しぶりの帰省でしたが、ちょうど帰国している中村哲さんが事務局で現地報告をすると聞き、ぜひとも話を伺わねばと福岡市の都心から少し外れた場所にあるペシャワール会の事務所を訪ねたのです。

11月22日、ペシャワール会事務所で

哲さんと会うのは6月のペシャワール会総会以来です。元気そうでした。決して広いとは言えない、マンションの一室を使った事務所には3~40人はいたでしょうか、熱い空気に包まれます。今回は休養を兼ねた短期の帰国。こういう形の報告会はそうそうないらしく、是非にとのことで実現したようでした。

報告の中で、哲さんは「あと20年」と口にしました。私自身は、初めて聞いた「20年」でした。それは、現地の事業が必ずしも順調には進んでいないことを教えていました。
ここ5年ほどでしょうか、哲さんの仕事は二つの大きな戦略的な目標を見据えて進められてきました。ひとつはペシャワール会のこれまでの事業をアフガニスタン全土に広げること。JICAや国連機関との共同事業の展開が、その分かりやすい形でした。そしてもう一つは、地元の人たちが事業を継承していけるようにすること。灌漑によってよみがえった村に研修所を作る、PMS方式の灌漑技術を継承可能なものにするためのマニュアルを整備する、そんな極めて実務的で地道な作業が始まりました。

「いやいや、決してうまくいってはいない。」

私の問いに答えて、哲さんは間髪を入れずこう答えました。地域地域、部族部族、そして村落村落で、決して同じようにはいかない。農業が定着し村が形を取り戻しても、今度は新しい対立と争いが顔を出す…そんな話が続きました。そして、「20年の計」に話が及ぶのです。20年…この小さな体のどこに、これだけの尽きせぬ熱意が隠れているのだろう。

しかし73歳の、もう老境に入ろうかという人の語る20年は、リアリティのある設計図ではなく、直面する困難の自覚とそれに立ち向かう決意であったと思います。それでも、そのときは少なくとも私も事務局の皆さんも、哲さんとともにこの壁に挑み、そして哲さんとともに哲さんの後を継いでいく道を開く仕事にとりかかろうという明るい空気に包まれていました。来年はハチミツがしっかり収穫できる、商品化して財政基盤を整えよう。そんな話題でひとしきり場が盛り上がったのも、その空気を象徴するものでした。

東京に戻ってから、私は、事務局の中心メンバーにこんなメッセージを送っています。
「昨日はお世話になりました。とても貴重な機会を頂けたと感謝しております。それにしても、改めて20年の計、さて、では誰が、というところが気になりましたが…。」
返事が届きました。
「アフガニスタンの情勢が厳しい事やPMSの自立等を考え20年継続体制をとの事で、私たちも先々の事を考えながら進めているところですが多事多難で、『その意気込みで』と個人的には考えることにしております。」
そう、「20年」は哲さんがアフガンの地に“骨を埋める”覚悟を決めたこととして受け止めよう。私は、そう自分に言い聞かせました。よし、来年はしっかり練馬でもハチミツを売るぞ!

その数日後、哲さんはアフガンに戻り、そして帰らぬ人となりました。現地ジャララバードで開かれた追悼集会では、

You lived as an Afghan and died as one too

と記された幕が掲げられていました。die as an Afghan それはまた、哲さん本人の望むところでもあったのかもしれません。しかし、それは今ではないし、決してこんな形であってはならなかった。返す返すも、無念です。

(写真上は2014年の練馬講演会で。下は2016年の練馬講演会)

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