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練馬区議会 2011.3.11

7年目の「3.11」。きっと、誰もが、あの日のことを振り返ると思います。鮮烈な記憶、痛切な思い、混乱と不安の中での日々。程度と広がりの違いは小さくはないけれど、ここ東京も大震災の中にいました。
2011年3月11日は金曜日でした。練馬区議会の第1回定例会は最終日を迎えていたのですが、しかし、震災とは全く別なところで、議会は混乱の中にありました。予算案に対して共産党区議団から出された組み換え動議の扱いを巡って、延々、会議と休憩が繰り返されていました。
発災のその時間、私は、区議会の5階にある会議室にいました。ちょうど幹事長会が開催されていました。深く長い揺れが襲い、エレベーターが止まり、震度が5弱であったという報告を受け、そして気がかりを残しながら、会議を続けました。
区議会の会議録には、こう記録されています。
 
予算特別委員会会議記録
<意見表明・採決・委員長報告>
平成23年3月11日(金)午後9時47分~12日(土)午前9時47分
  (休憩 11日午後9時50分~午後9時54分)
  (休憩 午後10時44分~12日午前1時09分)
  (休憩 午前2時37分~午前7時08分)
  (休憩 午前8時55分~午前9時39分)
予算特別委員会が終了したのは翌12日の9時半過ぎ。本会議が終わり定例会が閉会となったのは12日の午前11時過ぎでした。議員は、この日は議会で夜を明かしました。しかし、誰も、本当には大震災が引き起こした事態の深刻さを実感できていなかったように思います。目の前の目白通りをたくさんの人が歩いて帰っている異様な姿も、夜食を買いに出たコンビニの商品が消えていたことも、もちろん気づいていましたが。
その後、原発災害が起こり、東京はさらに深刻な混乱に陥ることになります。しかし、率直に振り返って、議会は震災対応らしい対応はできなかった。深い反省とともに、そのことを思い起こします。

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