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筑後川の「堰(せき)」

21日から2泊3日で、九州・福岡に帰省していました。母親の引っ越しに伴う後始末のための慌ただしい日程だったのですが、合間を縫って朝倉市に車を走らせました。筑後川に造営された「山田堰」を見るためです。
堰…見慣れない文字ですが、“堰を切ったように…”といった表現でおなじみの言葉。「水を取るため、また、水深・流量の調節のため、川の途中や流出口などに設けて流水をせき止める構造物」(デジタル大辞泉)という意味です。
九州の中腹・阿蘇山に源を発し、西走して有明海に注ぐ筑後川は、“暴れ川”として知られ、その川を治めるために様々な努力が続けられてきましたが、「堰」もその一つです。筑後川には4つの堰があります。その中でも山田堰は、石畳で造られた日本で唯一の堰として知られています。

農林水産省『日本で唯一の石畳堰』より
筑後川の中流域に位置する朝倉町(現朝倉市)は、現在では肥沃な水田地帯ですが、かつては谷間から湧き出る小川等の水を利用したわずかな水田があるだけで、湿地や原野、凹凸や傾斜の激しい石ころまじりの砂地が広がる地域でした。1663年、筑後川から水を引くため堀川用水が作られ150町余りの水田が開かれましたが、年を経るに従い取水口に土砂が堆積し干ばつ被害を受けるようになり、1722年取水口の変更工事を皮切りに改良を繰り返し、1790年、堀川の恩人と呼ばれる古賀百工により筑後川を斜めに堰き止める、日本で唯一の石張堰である山田堰が誕生しました。山田堰は三連水車、堀川用水とともに国指定史跡に指定されており、これら施設とともに現在も地域農業を支えています。

 写真を撮ってきましたが、ちょっとわかりづらいですね。堰を下流から撮ったもので、左側のおだやかな流れはそのまま用水路に続きます。上の方に、川の流れが二手に分かれているところが見えます。ここから下流へと、三角形の石畳が広がっています。それが堰です。山田堰については、インターネット上でもたくさん取り上げられています。構造、しくみがよくわかる記事としては、例えば筑後川水の友のHp(こちら)をご覧ください。
川の流れと正面からぶつかるダム状の堰ではなく、川の流れ、湾曲を生かして水を用水路に導きいれる巧みなつくり。治水の思想が、どこかで川との“共生”の思想とつながっている。300年以上前にこうした知恵が形となったというのは、驚きでもあります。繰り返される洪水、灌漑と農業への強い思い、そして持続可能な用水確保の試行錯誤の産物、なのでしょう。
山田堰のことを知ったのは、中村哲医師がアフガニスタン・クナール川での灌漑・用水路建設事業の中でこの堰を大いに参考にしたという話を聞いてからでした。堰をこの目で見て、中村さんが写真で見せてくれたアフガンの地、そして人々の格闘がずっと身近に感じられた気がします。

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