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ミリキタニさん

 Japanese-American(日系米国人)で、とてもお世話になっている友人がいます。その友人ご夫妻から薦められて、『ミリキタニの猫』という映画を観ました。

 ミリキタニさんのフルネームは、ジミー・ツトム・ミリキタニ。ミリキタニは三力谷。広島で育ち、戦中に強制収容所に送られ、市民権を失った経験を持つ日系2世の路上画家です。
 とても興味深い映画でした。以前、劇場で観た『東洋宮武が覗いた時代』が、どちらかといえば日系米国人が置かれてきた歴史的な事実に光を当てることに力点を置いているのに対して、この映画のいちばんの魅力は「今」に焦点を当てていること。「今」、アメリカの社会は、日系米国人に対してどういう社会であるか。だから、ミリキタニさんその人のたどったつらい人生だけでなく、むしろ、彼とアメリカの国家、社会との軋轢と「和解」の物語というべきか。
 そして、たとえ半世紀を経てもなお、「和解」を求める努力が続いているという事実、そして万全でも完ぺきでもないにしても、しかしミリキタニさんが最後に見せるすがすがしくりりしい姿が象徴するように「和解」が進んできているという実感は、魅力的です。もちろん、それは矛盾なく進んだことではなく、また、むしろこうあってほしいという問題意識で描かれた映画であるとしても、米国の社会と国家の奥行きと良心を感じさせられます。監督であり、さらにはミリキタニさんを共同生活者として支えたリンダは、この良心を見つけ直すためにこの映画を作ったのではないか。そして、図らずも彼女自身がこの良心のひとつとなった(なることができた)のではないか…。9.11との際立ったコントラストの中で描かれるこの良心は、強い現代的なメッセージ性を持っています。
 それにしても、翻って、日本は…。国と社会のマジョリティが抱えている限界や問題はいずれの国にも厳としてあるにしても、私たちの社会にリンダはいるか、ミリキタニの笑顔はあるか。彼の心の中でデフォルメされ、守られてきた日本と広島の像は、虚像になってしまっていないか。苦しい問いかけです。
 機会があったら、ぜひご覧ください。

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