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「自衛」概念の大転換 ~「集団的自衛権」閣議決定(4)~

 前回の記事で書いたホルムズ海峡での武力行使(「機雷掃海」)について、今日14日の衆議院予算委員会で、安倍首相が明確な――ためらいのない答弁をしています。自民党の高村委員に対する答弁のその部分を、中継録画から起こしておきます。

 「ホルムズ海峡は我が国のエネルギー安全保障の観点から極めて重要な輸送経路となっています。仮にこの海峡の地域で紛争が発生し機雷が敷設された場合、我が国の石油備蓄はもちろん約半年分あるわけでありますが、しかしその段階で相当の経済危機が発生したと言えるでしょう。そして、機雷が除去されなければ、そこに危機として存在し続けるわけであります。誰かが機雷を除去しなければ、危険はなくならないわけであります。同海峡を経由した石油供給が回復しなければ、世界的な石油の供給不足が生じて、我が国の国民生活に死活的な影響が生じ、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされることとなる事態が生じうると考えます。」
 原油が止まれば「経済危機」が生じ、国民生活に「死活的…」な問題になる。「我が国の存立…くつがえされる」の部分は、新3要件の第1の文言そのままです。ホルムズ海峡の機雷掃海に自衛隊を派遣することは、新3要件で可能となる。安倍首相の見解は、少なくとも結論について言えば、とにかく明確なのです。公明党は、戦争中のホルムズ海峡にまで自衛隊が出ていくことを了解したとはなかなか言いませんが、こうした答弁を聞いていると、首相や自民党はまるで公明党を嘲笑し挑発しているのではないかとさえ聞こえます。
 シーレーンあるいはホルムズ海峡とは、まさに「石油」に象徴される経済権益をめぐる争いのるつぼです。日本自体が武力攻撃を受けていなくとも、たとえそれがはるか離れたシーレーンや湾岸での武力衝突であっても、国際化した日本の経済活動の中で積み上げられてきた様々な経済的な権益を守るために(それが「死活的」であれば)自衛隊は出動し戦うことができる、それもまた「国を守る」ことだ。これが安倍首相が確信をもって語り、公明党がおずおずと自身と他者をごまかしながら付いて行こうとしている今回の閣議決定の核心であり、その実際的な中身てす。
 念のため確認しておくと、ここで言われている機雷掃海はあくまで戦時中、紛争中のことです。つまり、機雷の敷設が現実の戦争の中で軍事的な意味を持っている中での掃海です。首相は、「機雷が遺棄されたものであれば」、つまり現実の戦争が終結し機雷が軍事的な意味を持たなくなれば、「(新3要件に基づく集団的自衛権を行使しなくとも)危険物として除去することができる」という既知の見解を改めて繰り返しています。
 今回の閣議決定の核心は、日本に対する直接の武力攻撃がないにもかかわらず、自衛隊がその軍事力を行使することを認める点にあります。「国の存立」が危うくなる事態は、決して軍事的な脅威に限らない。いや、むしろ国際的な紛争、衝突をきっかけとした経済的な危機、財政的な破たん、政治的な混迷、いろんな事態が起こりうる。そうした事態を回避するために必要だとすれば――いやいや、必要だと時の政府が判断しさえすれば、たとえ他国の戦争であっても、軍事力を持って介入し参画することができる。それが、今回の閣議決定です。

 「自衛」という言葉は、少なくともこれまでは、直接の軍事的脅威に対応した概念として用いられてきましたが、今回の閣議決定では違います。「自衛」の概念は今や大きく変質し、「自衛」とは経済や政治や資源やエネルギーやらをすべて含めて、「国を存立させること」という意味に変わってしまったのです。一方は、直接の武力攻撃を排除するという意味での「国を守る」。他方は、国際的な権益を確保するという意味での「国を守る」。この二つの間には、雲泥の、決定的な違いがあります。
 これだけ国際化し一体化した世界のなかで、いくらかでも経済的に発達した国であれば、どの国も世界情勢から孤立してその経済・社会を維持することができないことは事実でしょう。とりわけ、いくつかの経済的な大国は、巨大な権益、利害を世界に有し、それらの権益・利害を「国益」と主張し、それを守るために政治(外交)だけでなく、当たり前のように軍事力を行使してきました。
 では、日本も同じように錯綜する国際的な利害関係を軍事的な手段を用いて解決しようとするのかどうか。この点で、少なくともこれまでの日本は、憲法という建前においてはこの問いに「No!」と答えてきました。「国際紛争を解決する手段としては(戦争、武力による威嚇又は武力の行使を)永久に放棄する」と宣言した憲法は、どう拡大解釈したとしても、日本の国際的な権益を確保するために軍事力を行使することを認めているとは読めないし、だからこそ歴代の政府も、直接に攻撃を受けた場合の“正当防衛”に類した規範のもとでのみ、自衛隊の正当性や役割を語ってきたのです。
 もし、武力攻撃を受けているのが他国であり、日本が直接、攻撃を受けていないにもかかわらず、それが社会的・経済的、あるいは政治的に日本の国家としての「存立を脅かす」と主張して軍隊を送るとしたら、それは、例えば米国やロシア(旧ソ連)が戦後史において行ってきた数々の軍事介入と同じ土俵に立つということです。事実、「集団的自衛権」を行使して守ろうとする「他国」が米国であることを、そして関与しようとする紛争が米国を一方の当事者とした戦争であることを、政府は隠そうとしていません。閣議決定は、事実上は、米国の戦争に軍事的に参画していくための扉です。
 日本の経済が多国籍化し、日本の法人や個人が数多く世界にその活動の場を広げている中で、どうやって経済活動をつづけ、国民の生命や利益を守るのかは大切な課題です。もっと広く言えば、日本は世界の中でどのような責任を果たすべきかという問題でもあります。しかし、その答えは「集団的自衛権」なのでしょうか? 米国を一方の当事者とした軍事的な衝突の中で、日本はどういう態度を取るのか。米軍の戦争に直接、参加することによって、日本は誰のために、どんな「国益」を守ろうとするのか? 「集団的自衛権」の議論は、つまるところ、ここに行きつきます。

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