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「平和」と「戦争」の岐路に立つ ~2018年の始まり~

2018年。とても冷たい空気の中で、年が明けました。冬らしい空気、です。
「戦争」と「平和」を、リアリティをもって感じ考えなければならない。そう自分に言い聞かせながらの、年越しでした。もちろん、世界はいつもどこかで、戦火の中にあった。そうではなく、この国を、私たちを当事者とした「戦争」と「平和」です。
私は、1955年に生まれました。朝鮮戦争は終わっていたんですね。もちろん、記憶の外です。それから半世紀以上、日本を取り巻く北東アジアの地域で、これだけ「平和」が危うく「戦争」が間近に感じられたときはありませんでした。
とはいえ、今日は何かを論じたいわけではありません。新年の初めに、紹介したいものがあります。
1983年10月3日、練馬区議会は【非核都市練馬区宣言】を全会一致で可決しました。
     →非核都市練馬区宣言
宣言が可決された直後、当時の田畑健介区長が、議会閉会のあいさつの中でこの宣言に託して自らの思いを語っています。議事録から採録します。

1983年10月3日 練馬区議会本会議

◎区長(田畑健介君) 最初に、ただいま全会一致で決議されました非核都市練馬区宣言に関連いたしまして、一言ごあいさつを申し上げます。
私は、まずこの宣言に述べられています今日の核軍備拡大競争がますます熾烈の度を深め、世界平和に深刻な脅威をもたらしているという点において、基本的認識を同じくするものであることを申し上げたいと存じます。
1981年以来、ほうはいとして起こった西欧や米国、日本を初めとする世界各地での反核の叫びや核廃絶の草の根運動は、このように増大する人類共通の危機を訴える市民や地方自治体の連帯であると申せましょう。
いま、私どもは、人類を滅亡に導く狂気か、世界恒久の平和を確立するための理性か、いずれかの選択が求められているのであります。何人も好んで狂気を選択することのないことを信じたいのであります。
しかし、理性の道を選択する努力が欠如するところに、狂気の忍び寄る危険は常にあります。
もとより、私は、区民や区議会の皆様方とともに、平和裏に、人類共存の道を選び、その実現のために全力を傾けたいと存じます。力の政策の支配する冷厳、過酷な国際政治の現実を見るとき、この崇高な理想達成への道が、いかに険しく、その歩みのいかに遅々たるものか、十分承知いたしております。
しかし、私どもは、二つの理由によって世界平和確立のために、みずから先んじて、積極的な発言をしなければならない立場にあります。
一つには、世界唯一の被爆国民としての責務においてであります。
二つには、世界に比類のない徹底した平和主義を宣言する日本国憲法の立場においてであります。
広島市の平和公園にある慰霊碑に刻まれた「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」という誓いは、核廃絶運動の原点であろうかと存じます。本年8月6日の広島市平和宣言は、「きょうの逡巡はあすの破滅につながるとし、また同じく8月9日の長崎市の平和宣言も「長崎こそは、世界最後の被爆都市でなければならない」と全世界に向けて、痛切に訴えているのであります。
次に、日本国憲法の立場において、私は、この際、その前文にうたわれた「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに、生存する権利を有する」という人類共有の権利を強調したいのであります。平和のないところに、個人の尊厳や人権の保障はあり得ず、まして、地方自治の進展などは望むべくもなく、住民の生存すらが危機に瀕し、現に多くの人命が失われたことは、私どもの記憶に生々しいところであります。戦争の惨禍と犠牲の上に立って確認した不戦の誓いは、決して風化させることがあってはなりません。
以上、申し上げましたような基本的立場に立って、地方自治体としてなし得る不断の努力をなすべきであると考え、ここに区民や区議会の皆様方とともに非核都市練馬区宣言を練馬区として行うこととし、直ちにこれを告示いたしたいと存じます。


田畑区長の強い意志と覚悟が伝わる挨拶です。「高度な政治判断が必要」だとか、「国政上の課題」だなどという答弁を繰り返し、「平和」と「戦争」にまつわる課題についての主体的で積極的な意思を示そうとしない現区長との対比は、あまりに鮮やかです。
繰り返しますが、非核都市練馬区宣言は全会一致で可決されました。議会の議決を受けた宣言です。そして、当時と今を比べてみれば、この国と私たちの生活のすぐ間近に、「戦争」が近付いていることは明らかです。
先達の熱い思いと良き伝統を受け継いで、今年もまた、議会活動に邁進します。

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