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自治基本条例(その2) ~歴史~

 閑話休題…議員の堅苦しい話題に戻ります。

 自治基本条例、区が仮につけた名前で言えば「区政推進条例」の骨子案が、公式ホームページでも公表され、意見募集が始まりました。これから、この骨子案の中身を少していねいに見ていきます。まずは前文から。
 前文は、練馬区の来し方、行く末を総括的に述べ、条例制定の基本的な意義を書く形になっています。これが、どうもいけない。前文には、1947年に板橋区から「独立」して以来のこれまでの区の歩みが、こうまとめられています。

 練馬区は、昭和22年8月1日、自立を求める人々の努力が実を結び、板橋区から分離独立して23番目の特別区として誕生しました。以来、都心に近接する住宅地域として、多くの人々を受け入れてきました。その過程で、区民と区が力を合わせて、遅れていた都市基盤や公共施設の整備などのまちづくりに取り組み、今や人口70万を超える、23区有数のみどり豊かな住環境に恵まれた都市として発展しています。

 これでは、過去60年にわたる区政の最大の課題、第一の取り組みは「遅れていた都市基盤や公共施設の整備などのまちづくり」ということになってしまいます。確かに、こうした課題、よく「練馬格差の解消」と言われる課題は、とても重要なことであったでしょう。しかし、それと同様に、この60年間は、さまざまな形で、繰り返し繰り返し、区の自治権を拡充し、区民が区政に参加し自らの自治を広げ高めていく60年でもありました。その象徴が、区長公選を求める区民、区議会あげてのたたかいでした。『練馬区60年史』には、こうあります。

 …(昭和)27年7月地方自治法の一部改正により特別区の自治が大幅に制限された。区長公選制は廃止され、区議会の選任制となり東京都の一構成団体(内部団体)の地位に変質されていった。このため、23区は、民主政治の基盤は区長公選制にあると反対運動を展開した。特に、他区に比べ生活基盤の遅れが顕著であった本区にとって、行政機能を高め行政を住民に向けさせる住民自治の確立への動きが高まった。
 40年代、他区に先駆けた区長公選制への動きは、練馬方式といわれ、まさに住民自治の復活にかける闘いでもあった。片区長の退任後の47年8月、区議会は新しい区長を速やかに選出することを目的に、「区長候補者選出特別委員会」を設置し、議論を重ねた。議論は、当時の地方自治法にのっとって区長選任を行うべきだという主張と、準公選条例を制定して選出すべきだという主張があったが、準公選方式を先行して検討した。
 その結果、47年第三回区議会定例会に議員提案された「練馬区長候補者選定に関する条例」が10月13日に可決、11月6日に公布・施行された。区議会は、「区長公選制の早期実現に関する意見書」を同年10月27日に可決し、内閣総理大臣と自治大臣に提出した。

 区議会は、法改正に先立って、法改正を強く促す一歩として、「準公選」条例を可決しました。この『60年史』に出てくる区議会の意見書は、こう言っています。

 東京23特別区は、…20年間にわたる念願である区長公選制の実現、財政権、人事権の確立、事務事業の移管を強く主張してまいりました。地方自治の本旨に基づき地方自治体の長を選ぶにあたっては、何よりも直接住民の意思が尊重されなければなりません。…区長公選制の実現は、区政に対する住民参加の不可欠の要件であり、焦眉の急務であります。これを早急に望む住民の声はきわめて高くなっております。(『練馬区議会史』)

 前文の最後には、「区の自治のあり方と区政運営の仕組みを明らかにし、より自律的な地方政府としての練馬区を実現するため、この条例を定め」る、とあります。もしそうであれば、区長公選制をはじめとして、自治の確立・拡大を求めてきた区・区議会・区民の歴史にまったく触れないのはなんともおかしなことです。

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