新しい年、新しい気持ち ~2017年、年頭~

年末、築地で買い求めてきたマグロの味を堪能しつつ、元旦が過ぎました。年明け、最初の投稿です。

私が生まれたのは、「戦後は終わった」と言われた年。後から知ったことだけれど、自民党が誕生した年でもあります。それからもう、60年を超えました。

「明治100年」なんて話がマスコミをにぎわしていたのは小学生のころだったか。60年はもちろん70年の「安保」にも遅れてしまった世代は、それでもテレビで大々的に報じられる労働争議や街頭のデモがまだ一つの日常であった時代の空気を吸って育ってきました。戦後の民主主義の行き詰まりと退廃はあちこちに顔を出していたけれど、それでも、市民、労働者が世の中を作り動かしているという実感が、確かにまだありました。遠い昔、です。
希望よりも不安、確信よりも不信の気配を感じつつ、何とも言えぬ感慨とともに20世紀の終わりを見届けたかと思ったら、はや17年。功罪の評価はともかく、20世紀の時代と思想を深く規定したあのロシア革命から、ちょうど100年の年になってしまいました。
社会も経済もそうであったかもしれませんが、ここ20年くらいは、閉塞感と停滞感が否応なくのしかかってくる、そんな実感が年とともに募ってきました。権力――経済的なそれにしろ、政治的なそれにせよ、あるいは文字通りの暴力にせよ、権力というものの壁の厚さをひしひしと感じます。議員という世界にいるからか、その感覚は具体的でリアルですが、だれもが漠然とではあれ、そう感じているはずです。
民主主義は遠くなりました。私たちは、「主権者」としての実感をはるか彼方に置き忘れてきました。代議制民主主義は、国民主権を適切かつ効果的に実現する機能をとうに失い、むしろ政治と市民社会のかい離・分裂の一つの歯車にさえ成り下がって見えます。権力が巨大であることそれ自体よりも、その権力を統御し抑制していくことへの絶望と無力が、ことの深刻さを際立たせます。
練馬という小さな世界で、一人の議員のかすかな力ではあれ、私は精いっぱい踏ん張ってきました。それでも、人々を覆う空気はフラストレーションに染まり、出口のない孤立感とやり場のない苛立ちは、乱暴で安易な“Break-Through”(ブレイクスルー)にすがる、アナーキーな心情を呼び寄せているように感じます。道理や、謙虚さや、寛容さが大切にされない、そして人のつながりと支えあいが信頼されない辛い時代です。
怖い。そう感じることが、多くなりました。皆さんはどうでしょう。

そんな時代に、抗って立つ。年の初めに、あらためて自分に言い聞かせます。昨年も、区政の場で、たくさんの課題を拾い、たくさんの議論をし、たくさんの行動を起こしました。一つ一つは小さくても、貴重でいとおしいたくさんの出会いとつながりを見つけてきました。負けるのは嫌です。屈するのは、まだ早い。もうかなりの時間、生きてきたけれど、そして一歩進んだかと思うと二歩三歩と押し返されるそんなたたかいが続いてきたけれど、まだやれることはある。本当の勝負はここから。
私や市民の声ねりまに期待と関心を向けてくださっている皆さん、ありがとうございます。がんばりましょう。2017年を、よい年に!
|2017-01-02T02:26:00+09:002017年1月2日|コメントはありません

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